主日のメッセージ 年間第6主日 典礼の色 緑 2015年2月15日 「神の栄光を現わすために」 (Iコリント 10:31) |
すべての被造物は天地創造の美しさを自然界に映しています。 その空間に、人は被造物の素晴らしさと良さを育み治める責任を神から託されています。神に代わって世界を治める働きを授けられているので、人は神に似ていると言えるでしょう。 その責任を果たせるよう自由な心と精神で探求する知恵を与えられ、知識と経験を養い、新しい技術を学び、進化し、同時に進化させられる心身を授かっています。神から託されたものを活かし、多くの人々と喜びを分かち合えるとき、主なる神の期待と望みである「神の栄光」が映し出されるでしょう。 18日「灰の水曜日」は、天地創造の不思議な業を思い起こす季節の始まりです。生命あるものは時の移ろいと大地の広がりの中で生活しています。天は分けへだてなく恵みを注がれ、感謝と喜びのうちに多くの人々を幸せへと導いています。 人類史は神の実現するよりも人間的な欲の戦いに閉じ込められている実情も見え隠れしていますが、信仰によって神の期待に応え、神の栄光を世に証している宣教者や善意の人々は目立ちこともなく、世界各地で働いています。 教皇フランシスコは、生きる喜びから遠いと見える土地、現実に耐え貧苦の中に生活している人々、閉じ込められている地域を順次訪問し励ましています。そこには多数の善意の信者が待っているからです。イエスが貧しい人・病気の人・差別され孤独な生活を余儀なくされている現実に深く関わられたようにです。(マルコ1・40-45) 教皇は経済的格差を作り出す政治や経済活動の中に人間悪を見ています。富める人が益々富み、権力者の権限が強まる一方で、力の弱い存在、生きる術に長けていない人、低収入の人、身寄りのない人など社会的弱者が増えている現実に立ち向かっています。マイノリティの人権にも目を留め、社会的な偏見と隣人愛が見えなくなっている人間関係にも注目しています。 人間の活動が、個人的な利益を得ることに腐心し、「神の栄光」よりも個人的名声・名誉・健康・財産の保持に心を奪われて自分の枠に留まり過ぎると、神の栄光を映し出す姿も見えなくなってしまいます。報道はされなくとも、勇気と愛に生きている人々、神の栄光をあらわしている人々の真実にも心を留めましょう。 四旬節は天の計らいの中に生きる人の美しさに目覚める季節です。生命と体の中に秘められている創造主の愛に気づきましょう。今日の創世記に登場する「女」は単に「女性」を意味していません。誘惑に負け、善よりも悪を選んでしまう人間性を象徴しています。 聖堂は神の国の神秘を映す場です。 次週の講座は単にお花を生けるためのものではなく神のことばの不思議な力を養う信仰養成の場です。キリストの福音は、いつでも、どこでもイエスを信じる人に希望と勇気を与えます。 |