年間 第十五 主日     2014年7月13日

       「雨も雪も天から降れば 大地を潤し(イザヤ55章)

      主は光の種を、喜びの種を撒かれる(詩篇9711


 一粒の種はどれくらいの実りをもたらすのでしょうか?
 
ビニールハウスの中の栽培では、一粒の種も無駄にならず、成長し、収穫でき利益が得られるでしょう。しかし、自然災害には勝てません。
 天から降る雨も雪も地上を潤し 種から芽を出させて育て実らせ 日々の糧とし、命を養っています。しかし、時として天は地に洪水、飢饉をもたらすことがあります。どこに、天の計らいがあるのでしょうか・・・。神の意志はどこにあるのでしょうか?

      
種まきを経験したことがありますか?
 イエスの時代は、畝を作らず整地もせず、直播きだったようです。通り道と言っても今の獣道のような状況ですから、落ちて直ぐ鳥に見つかり餌となるものあれば、石の上に落ちて芽が出ても、根が伸びられないので枯れてしまうものもありました。現代の方法とは全く違った耕作法ですから、現代人には想像しがたい光景で、話の真意を分かるのに苦しむかもしれません。しかし、種を撒く行為は世の終りまで続くでしょう。

      
喩えだから、永遠の価値があります
“種を撒く”とは、世の中に出ること、出されることです。その時には色々な環境があります。種も人も その土地、時代、環境条件を選べません。しかし、ある時が来ると、根付ける所はどんな場所か、どこが居心地がいい所か、自ら選べるようになります。 茨の中とはどんな環境でしょうか。争いと憎しみのある所でしょうか。
 “良い土地”とは“何”でしょうか。

       蒔く人はイエス・キリスト、種は神のことば 土地は世の中
 当時のイエスが見た種まきの光景から話しています。
 この話を聞いて、非難する者、否定する者、あげつらう傲慢な者など多数の無理解者がいました。この世は、まさに荒れ地のようであり、根付く所を見つける苦難の連続でした。
 そのような状況で、“良い場所”があるのでしょうか?
               “良い実り”は何を望んでいるのでしょうか。

 種を撒く人は良い種を準備し、肥えた地を選び、陽のあたる場所を見つけます。が、手入れは出来ても、成育はお任せ、実るか否かは、収穫時までわかりません。神の心は親の心に通じ、人生の喜びを知るための一つのお話です。天の御父が“信仰の種”を人の“いのち”に与え、心を豊かにする話です。その種が実るか否かはお任せのようですが、主である神は その恵みの種は空しくならないと、信仰の恵みを預言者を通して約束しています。何と力強い“ことば”ではありませんか。

 人は収穫に心を奪われがちですが、創造主は、そのような偏った見方よりも、「あるものすべて、実るものにも、実らないものにも、善にも悪にも、この世の成果」に関わらず、それぞれの命に救いの力、喜び、祝された生命を授けて下さいます。
「今の苦しみはこれから現されるはずの栄光に比べれば取るに足りないもの」
                         (ローマの教会への手紙8章
      「喜びへと導く道『福音の喜び』序文5番(マタイ11:25-30)参照」」