年間 第十六 主日     2014年7月20日

分け隔てなくすべてに心を配る神(智慧の書12章)
 「弱い私たちを助ける“霊”(ローマの教会への手紙8章)
  「神は良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に敵が来て
     毒麦を蒔いて行った。芽が出て実ってみると毒麦が現れた」
                                 (マタイによる福音13章)


    毒麦の喩えは何を示しているでしょうか
 畑のオーナーは云いました「収穫時まで待ちなさい。良い実も間違って抜いてしまうかも知れないから。」
 なんとすごい、洞察力と決断力でしょう。並の人には無理でしょう。
 神の霊は人の心を見抜いて弾劾するよりも、むしろ、意思の弱い人、存在の目立たない人、世では忘れられている「存在」を引き上げることです。
 仮に神に敵対するものでも、安易に人の目線で判断できません。
 善悪を裁ける方は主である神のみです。この畑のオーナーは神の心を持つ人です。
 だれが神と同じ心になれるでしょうか・・・。

    聖書の喩えは「天地創造の時から隠されている神の意志」を明かします
 イエス・キリストほど人々に理解されなかったにも関わらず、多くの人々に救いの希望を与える方はいません。 直弟子のペトロ達でさえ、当初は、復活されたイエスを認めることが出来なかったのです(ヨハネ福音書20、21章)。イエスの喩え話も理解するには至っていなかったでしょう。

    
喩えは、神の国を信じる「者」に「時が来たこと」示される啓示です

 掲示板に書けるような文字のお知らせとは全く質の異なるものです。
「ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が寝ている間に、敵が麦の中に毒麦を蒔いて出ていった。芽生えると毒麦と分かった。」
 この喩えの意味を知るために天地創造の話を思い起こしましょう。

 創造主は 第1日に光を創造し、第2日に 水と水を分けて、空を天と呼ばれました。
      第3日に、陸を海と分け、その地に種を蒔かれて、
        それぞれ種を持つ果樹が生じました。
        それを見て「よい」と思われました。
  良い種は、神から祝福されていますが、創造の話には毒の種は語られていません。
  毒の種は神の敵によるものでだからです。では、神の敵とは何でしょうか。

  神の敵が何か簡単に見分けられるなら、誰も苦労はしないでしょう。悩みも心配事も真実が見えないので心の負担となります。

   イエスの喩えは心の闇に閃く稲妻のようです
 “霊”の働きは幻想的に長時間続く幻影ではありません。魂が揺り動かされ、心が動く瞬間です。
 神は良い世界を造られました。良い畑に、良い種が蒔かれたのですが、いつか毒が現われるのは、神の心から離れてしまった人の心かもしれません。いつまでも回心を待つ神の愛の話、これが「神の国」の喩え話です。
       良い種は「神のことば」とすると、毒麦は何でしょうか。