年間 第十七 主日     2014年7月27日

若いソロモン王は、善悪を判断できるように聞分ける心を願い(列王記上3章)
聖パウロは主と共に働く「協働の神」の計画を伝えローマ書8章
 イエスは「神の国の秘められた智慧」を喩えで話されましたマタイ13章)

  人の心を神さまも読めなくなりました
 被造物は初め、善いものとして造られました。特に人間は自由な心を授かり、喜びと平和で幸せな者として生きるはずでした。しかし、ある時、欲をそそる何かの怪しい誘いにのせられてしまいした。自分よりも優れている存在があると知ると、自分もそうなりたいと望むようになり、悪の誘惑に負けてしまいます。創世記冒頭の神との絆が切られる物語です。神は人に自由に自分の思いを決められる意思を授けてしまったのですから、もう、人の心の奥に立ち入ることはできません。ここに神の悩みと苦労の歴史が始まります。
 その時以来、人の心の中から消えてしまった「神の国」を、如何に知らせるかが神の責任となりました。

 神の恵みを見失ってしまった人類の歴史は争い、戦い、紛争、最後に大きな戦争の絶えないものとなりました。しかし、このような情けない悲しい社会であっても、人間を超える“いと高い神”に喜びを知る信仰者の群れは絶えませんでした。素朴に創造主を信じる者、神の愛の掟にそって人々を導くリーダー、王となって民の生活を守ったダビデやソロモン王、預言者として主である神の意志を伝えるなど、様々な方法で、主である神への立ち返りを試みました。そして 最後の手段として神自身がナザレのイエスとして地上に来られました。

   イエスの教えに驚いても、神の国へ立ち返る恵みを信じる人は少ない
 長寿、富、富よりも善悪を見分ける智慧、正しい裁きの知識を望んだソロモン王でさえ、晩年は人間的な欲望に負けてしまいました。また逆に人生半ば、神の協働者となるパウロのような人々も多くいます。歴史の中には無数の不思議な出来事、神秘的経験を経て回心する人々もいます。
 
     主と共に有る神の国
 マタイ福音書13章には、神の国の喩えが、種まき芥子種パン種毒麦そして今日朗読される真珠七例あります。聖書では「七」、「三」は天・地・人(神の創造された空間)、「四」は自然界(地上)を意味し、「七」は完成された神の国のシンボルで、七の喩えは神の国全体を象徴する話となっています。
   農業の人には 畑に隠されている宝を見つける喜びを
   商売をする人には 高価な真珠を見つけた時の買い取る方法を
   漁師には収穫の選り分けを例に挙げる喩え話を語ります。
 どの喩えも人の心にある欲の思いとつながっています。見えない所にある喜び、利益を得る考え方、収穫物の判別と現実的事例に繋がっています。

 今日の朗読は「神の国の奥深さ」を分かるように三つの聖書朗読を?ないでいます。
         人間は自分自身を神々の一人とする危険があるので、
   アレルヤ唱で「神の国のことを小さい人々に現して下さった」と歌います。
          造り主の前に、人は被造物にすぎないことを思いだすためです。