年間 第二十主日               2014年8月17日

        
「子犬も 主人の食卓から落ちるパン屑は いただくものです」

        「女よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように。」


            
その時、娘の病気は治りました (マタイ15章) 

  インスタント・コミュニケーションの文明社会の子供たちの未来はどこへ向かうのでしょうか?

  イエスの時代には夏休みもなく、安息日も確立していませんでした。庶民はひたすら働き、税を納めるのが精一杯。楽しみ、 安らぐ間は 夜の暗闇 天に星を眺め、月の満ち欠けを読み、雲の流れから明日を思ったことでしょう・・・。

 教皇フランシスコは「福音の喜び」で述べています。
「今 私が言えること、私の人生で見てきた最も美しく、ありのままの喜びの姿は、現代技術による楽しみを知らず、貧しく貧困に生きる人々の中に あったということ。
 もう一つは 果たすべきことを誠実に行い、利害を超える素朴さ、信仰心に満たされている喜びです」。真の喜びを発見する知恵(信じる心)は いずこから来るのでしょうか。

 経済的貧困地域に生活していた教皇の情報源は「どこから」でしょうか? ローマに居住して、“そこに”どんな現実を目の当たりにしたのでしょうか? 少なくとも「富・権力・身分」の中には「真の喜び」は見えないということでしょうか・・・。
 「福音」によれば イエスと出会ったカナンの女、主人と同じテーブルに座れず、貧乏で貧困に喘ぎながら生き続ける人間のありのままの実情でしょうか。
 彼女は信仰によって、イエスとのインスタント・コミュニケーションに成功しました。

        ドキュメンタリー映画「大いなる沈黙へ」をみて
 
 暗い画面に「赤く燃える聖体の炎」。○ ● ◎・・冷たい雪景色の下から芽生える野菜、春の日差しの彼方に聞く鳥の声。夏の雷雨の季節は短く、秋が来る。再びの雪の季節となり、雪の上に静かに生を楽しみ喜ぶ大空の下。新しい修道院のためにソウルに向かう飛行機。そして、大写しになる修道士の顔・・・、死を恐れない老いた修道士
 物語は入会志願者の誓願式から始まる。「ナレーションなし」も映画としては大いなるチャレンジですが、ありきたりの生活に価値を見る・知るためにはベストだと思います。

 協同生活のルールは現世的には厳格であっても、神からのあふれる愛の喜びを知る人、イエス・キリストによって示された信仰の神秘を歩む者には当たり前のことです。 

 イエス・キリストは ただひたすら 目の前にいる人、その時、起こる出来事に淡々と福音を伝えました。異邦人の土地でその神秘に希望をおく人に出会ったイエスも幸いです。

 アブラハムに約束された神の選びと招きは取り消されていません(ローマ11:29
 主の元に集まる人々には何の区別も格差もないとイザヤも約束しています(イザヤ56:17
  イエスの癒しの力は信じる心・魂に与えられる賜物です。
 
            「大いなる沈黙へ」 関連聖書箇所 

 雅歌2:11-14 詩編46:11 詩編65:2 詩編100:3 申命記4:35
 列王記18:37 19:11?12 出エジプト3:14 ダニエル3:52-90 マタイ1125-?30