年間 第二十一主日               2014年8月24日

        「洗礼者ヨハネとナザレのイエス、ペトロとキリスト」(マタイ16章)

       ドキュメンタリー映画「大いなる沈黙へ」見て

 朝ドラで 女学校の宣教師校長が卒業生に「あなたがたの人生で学校時代が最高に幸せだった、と思わせるなら、私の教育は失敗です」という台詞がありました。
   過去は今のため。思い出は明日のため。  熱闘の甲子園 勝利も敗北も明日の糧。
   勝っても驕らず、負けて悔しく嘆いても、その痛みの中から明日が開く。

   人間の特権は 過去を糧にできること、今を生きる自由です。
   悲しい過去を引きずらず・・・きょう、“する”ことに喜びがあります。
 あの修道院は心の片隅にある“いのちそのものの「生」”を楽しむ祈りの日々です。
 人間の魂の奥深さを指示すシンボルであり、「主とともにある・生きる」徴です。
 神の国の喜びを見つける鍵としての信仰に生きる雛形のようです。

 ペトロは、イエスの風評に囚われず、イエスに天の徴を読み取りました。人“メシアのしるし”を見ました。それが鍵です。
 代価を払わなくて得られる信仰による恵みを知ったのです。

 お金と努力でしか得られない事ばかりなら どうして平和が来るでしょうか。
 この世はある種の競技場のようです。熱闘は決められたルールがありますが、生き物の世界のルールは無視されています。
 それでは、戦いは終わることはないでしょう。人の欲には限りがないからです。
 神の定められたルールはどこに隠されてしまったのでしょうか・・・。
「神のことば」には経済的生産性はありません。“欲”の扉の中に閉じ込められています。
しかし、その心を動かす力があります。天の国の鍵です。
 シモン・バルヨナはイエスの中に「生ける神の子が持つ天国の“カギ”」は見ました。

 カルトジオ会の修道士は世界中に今、千人にもいません。
 数は少ないですが、その生活は多くの人に感動を与えています。
 その価値を理解する人は少ないかも知れません。しかし、・・・・。
 私は真似できません。全く同じ生活などほど遠いですが・・・
 でも、私の心に静かな灯火 魂の奥で囁かれる祈りは感じられます(詩編4611)。

 創造主である神は決して世界を見捨てない方
 神の富、神の知恵は計れず 神の知識は有限ではない・・・
 神の定めを誰が知ろう・・・

 イエスは洗礼者ヨハネの生まれかわりと誤解した人もいました。
 シモン・バルヨナは イエスをメシアと見抜き信じる知恵を幸いにも受けました。
 そして、ペトロとなり、“天国への道・真理・いのちへの門”を開く鍵を受けました。
  神は眼に見えないから祈る・・・念祷の日々を生きる修道士
  彼らの心は 他者を自分の中に見ているのだろう。
  神のいのちを楽しむ修道士の皆さん  ありがとう。

「大いなる沈黙へ」関連聖書箇所 ダニエル3:5290 「教会の祈り」p.40 雅歌2:1114 詩編46:11 
   詩編65:2 詩編100:3 申命記4:35 列王記18:37 19:1112 出エジプト3:14  マタイ112530