年間 第二十二主日               2014年8月31日

          「自分が背負う十字架」(マタイ16章2127

横軸は時間を表し 縦軸は天地を結びます。図像にすれば十字架です。
横軸には一人ひとりの日々の営みと生活があり、各々が背負う出来事の連続性を表します。
 縦軸はそこに介入する・・の力です。

                  

 預言者は神から受ける言葉ゆえに恥とそしりを受けます(エレミヤ20:7-9)
 預言は回心を求め、未経験の事柄、新しく生きる道を示します。

 神の言葉を受けたエレミヤは、神の言葉に応えて慣れた日常的生活から離れ、預言者として生きる道を選びました。横軸である人生の「ある日」、天からの介入を受け入れたのです。横と縦の交点に置かれて左右・前後と同時に上か下かの選択を迫られたのです。

 彼の人生は荒れ地のよう、水のない荒れ果てた土地のようになりました。
 そのとき、彼は心の中で天()を思い仰ぎ見る事を望みました。
 そのとき、主の恵みは命に勝り、私の口はあなたを讃える、と歌いました(詩編63より)
 天は心の目を開かれる人に神の愛を注ぎます(ローマの教会への手紙12章より)

 しかし、誰が天の動きを知り得るでしょうか?   預言者は孤独です。
 この夏、各地に思わぬ大災害が続いています。
 自然界の営みを人間は「何もかも」知り得るのでしょうか。
 経験に依存する生活感覚は 考えもしないことが起こるという事を忘れています。
 ペトロはメシアが苦しみを受けるはずがないと決め込んでいたのです。

 イエスは「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている(マタイ16:21-27参照)」と、人の思い込みを糾弾しました。
 サタンは身近なところにいます。天の動きを忘れる時に サタンは活動します。

  大きな被害を被っても実りの季節は来ます。
  豊な収穫が期待できなくとも 新たな時が来ます。

  それにしてもこの夏はあまりに暑く、
  思わぬ大災害に見舞われました。実りを失った者の悲しみを心に留めましょう。
  主の十字架は痛みを背負う命の絆です。その痛みを分かち合いましょう。

  自然災害に遭遇しない所にも 他者には見えない一人ひとり十字架があり
  御父のみが知っておられる重荷があります。ご存知なら教えてほしいものです・・・。

 私たちの真の祈りは 自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえ とする事です。
 この世の事に倣うよりも、心を主に向けましょう。
       世の事はすべて結果です。起こってしまった事柄よりも 
       神の喜ばれる真実を弁えましょう(ローマの教会への手紙12章)