山法師の赤い実が散り、庭にも秋が来ました。実は 種となり存在の徴を残します。
命あるものは「存在」」の証の何かを残しますが、最高の遺産は人の記憶の中で引き継がれる愛の形見です。愛の関わりを超える遺産があるでしょうか・・・。
イエス処刑の悲しみの中で
そのとき、十字架上のイエスの下にたたずむ者は「イエスの眼差しに父なる神の愛を知り(福音の喜び 225頁)」、アリマタヤのヨセフはイエスの遺体をピラトに頼んで引き取ります(ルカ23:50以下)。しかし、一緒に処刑された二人の遺体と処刑の道具、十字架の処置について何も新約聖書は触れていません。当時の慣習で処分されたのでしょう。とすると、その場で焼却されたか、捨てられ埋められたのでしょう。そして、迫害の最中で探し出す事はできなかったでしょう。

“きょう”は その聖なる十字架発見の記念日
西暦313年 ミラノの寛容令によってすべての宗教が公認され、信仰の自由が保証されました。それから13年後の326年、皇帝コンスタンチヌスの母、ヘレナは聖地エルサレムを訪れ、そこで イエス・キリストが処刑された十字架を発見しました。
聖なる十字架の発見は復活を信じる人々に大いなる喜びをあたえました。
そのとき ヘレナ皇太后たちは、イエスの死は人生の終活ではなく、新しい生命の誕生の徴、救いの力を確信したことでしょう。喜びの福音が真実となったのです。
十字架の“形”は、元々は「生命の象徴」で、逆さに吊るされる生命の木、中世ではY字形の葉の付いた枝があり、天国への梯子を表象していました。
*(アト・ド・フリース Dictionary of Symbols and Image イメージ・シンボル事典 大修館書店)
アッシリア人やケルト人は創造力と永遠、エジプトやフェニキヤでは豊穣と未来の生命を表していました。きっと、こうした言い伝えを知っていた皇帝の母は、イエス・キリストが処刑された十字架の遺物を発見した時、大いなる驚きと感動を覚えたことでしょう。当時、真偽の証明は人々の証言だけだったのですから。(考古学的検証方法があったとは思えません)
見えない神の残された遺物を発見した驚きと喜びは如何ばかりでしょう・・・ 。
主の愛に照らされる十字架
泣くことは、学ばなくてもできます。悲しみは望まなくても来ます。
眠りは学ばなくてもできますが、眠れない時はどうしますか・・・
失った物は見つかるかも知れませんが、 亡くなった生命は戻るでしょうか。
喪失の痛みを癒す力は「どこに」ありますか・・あります・それこそ十字架の知恵、神の愛。
その神秘は「内なる呼吸」にあります。
身体の深奥と主の声の接点、つまり 魂の奥底と天から降りる聖霊の交差点にあります。
|