〜 未来に資産を残す信仰の遺産 〜
政府は2016年のユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産登録に向けて、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本両県)を推薦すると決めました。
キリシタン迫害以来、信仰者は人の目の届かない場所、ひっそりと隠れた所で感謝の祭儀に準じる“オラショ”を唱え、立ち消えしませんでした。「神の言葉」は世間から隠されても生き続けていました。世間的には消滅してしまったキリシタン信仰は人々の魂の中に輝いていました。典礼歴と「どちりな・きりしたん」と呼ばれる教理書を拠り所とし、燃え続ける灯火は、「マリアのご像はどこ?」と尋ねる「言葉となって」世に知られました。
1865年3月17日のことです。
信徒発見後 すぐに行われたのは聖堂建築ではなく、新しい日本語版教理書の編纂でした。迫害中、一人の司祭もいず、心の拠り所は洗礼の秘跡と準秘跡(信心)だけでした。
1896年に新要理書が出来上がり、日本の教会の方向を位置づけました。信者の心に燃える信仰の炎は聖堂建築の熱意となって現れます。今回の決定は信仰の実践の“実り”が日本文化の中でのキリスト信仰が世界に発信されるチャンスとなるでしょう。
聖堂(教会)は信者の祈りで始まり、恊働体の祈りと犠牲で完成します。カトリック教会の長い歴史の中に祈り続けられている信仰の遺産を心から確かめたいものです。
「仏を造って魂を入れず」。日本の諺にも心を留めましょう。
“yes”と“no”を結ぶ軸は十字架
教会(聖堂)は「聖なる神と神の民が交わす祈りの空間」です。目に見えない神の“かたち”は、主の言葉が告げられ、その言葉に応える交唱の祈り・詩によって「福音の喜び」を映し出します。神の性質、神の永遠の力と神聖さは、その時、その場にうみだされる祈りの環境を育てます。聖堂は身体の形象であり、祈りがあって聖なる神の空間となります。
世の最高の遺産は 人の記憶の中で引き継がれる神の愛の形見です。愛の関わりを超える遺産があるでしょうか・・・(9/14十字架称賛のメッセージより)
きょうの聖書朗読から
「人間は『主の道は正しくない』と不平を言う」と、エゼキエルの預言は(エゼキエル18:25-28)告げ、詩篇は「すべての人の救いを願い、わたしは主なる神を待ち望む(詩篇25/典礼聖歌137)」と歌います。
福音は、複雑な心情を親心と子の会話を通して心のうちを照します(マタイ21:28-32)。
人間は素朴で素直な心で神の前に立てないことがあります。YESと言いつつも実行できない心、NOと言いながらも実行する自分がいます。「親思う心に勝る親心」と昔から言われるように神の愛は人の愛よりも勝っています。
信者はミサを始める前に必ず主なる神の御旨に背いたことを悔い改め、罪のゆるしを願い、神の愛を求めます。
神の愛、アガペは天からくだる恵み、人の愛は救いを求めるエロス。
アガペとエロスの交わる場所は、十字架のある教会、聖なる建物である聖堂。
その交わりは 主のことば によって十字架の中でキリストのうちに実現しています。
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