年間 第三十 主日
2014年10月26日
テーマ
「神の愛と他者と分かち合う愛」
♪新聖歌
52
「涸れた谷に鹿が
水を求めるように
神よ 神よ わたしの魂はあなたを求める」
この世を超える神の愛に憧れる祈りの詩
もし、主の律法が弱者・最貧困者の味方でないなら、誰が主を信じるでしょうか。
神の福音はある階層のための喜びを見るよりも、水の無い谷
(ワジ)
に水を求める鹿(生き物)のように貧しい◎◎の訴えに耳を傾けています。
しかし、人間にとって主の声を聴き分けることは易しいことではありません。そこで、
主である神は人の力と知恵では知り得ない「ことば
(教え)
としるし(シンボル)」と不思議な業によって神の働きを人類に示されました。
その代表例が主の十戒です。「主の十戒」は
神の
創造の秩序を保ち、生命を養い守るために与えられた神の知恵の体系で、欠乏している者と分かち合う人類の責任を期待する教えです。
出エジプト記
(出エジプト
22
・
20
−
26
)
詩篇は祈りの詩として神の働きを伝承しています。
神はわたしの砦 巌 救い 身をさける岩 神 櫓 力
神の掟は身近にあり 神の裁きの前に立っているわたし
神はわたしを支える岩 神に栄光と賛美がありますように
わたしはあなたの名を喜んで歌います
神はわたしを救われる その慈しみをたたえます。
(詩篇18より)
イエス・キリストは旧約の民の祈りに応えて御父から遣わされ方。
人々の祈りの実りの穂として世に来られ
「わたし
(イエス・キリスト)
を愛する人はわたしの言葉を守る。 わたしの父はその人を愛し わたしたちはその人のもとに行く」と言われて十字架の愛を残されました。
アレルヤ唱
しかしながら、主の福音を聞き入れられない世の事情がありました。その代弁者たちが
サドカイ派・ファリザイ派・律法の専門家でした。彼らは人間の言葉の罠に閉じ込められて神の愛には辿り着けなかったのです。
彼らはあまりに世間の常識と自分たちの博識に溺れていたのでしょう。きっと最後の最後まで、イエスをガリラヤの田舎者、無学の輩と見下して、イエスの教えを受け入れてしまうと自分たちの地位を失ってしまうという心配を超え超えられなかったのでしょう。
聖パウロさえ当初は無理解者でした。
主の天からの愛が愛を呼びます。サウロは天の声に素直に応じた人です。権力をかさに弱者を痛めつけたサウロは、ひどい苦しみの中で神に訴える民の声(
出エジプト
3:7
)を聖霊の導きで知り、主の言葉に開眼されました。
—(
テサロニケの教会への手紙(
1
テサロニケ
1
・
5c
−
10
)
偶像の世界に閉じ込められている場から解放され自由になる不思議な時に信仰が働きます。
♬
「喜ぶ人と共に喜び 泣く人と共に涙を流す
互いに祈り 互いにいたわり 惜しみなく与えよう」
アーレ
ル
ヤー ♩ キリストのうちに」