ラテラン教会の献堂 2014年11月09日 Archbasilica
of St. John Lateran |
学校に行くと言えば勉強に行くこと、教会に行くとはミサに出ることを意味していましたが、最近は学校見学に行くとか、聖ペトロ大聖堂を見学するなどと意味が代わっています。 ラテラン大聖堂は現教皇が選出された時、こっそりとタクシーで祈りに行ったことでも話題になりました。そこはネロ皇帝によって多数の殉教者の出た地に、初めて建てられた教会として記念すべき場所だからでしょう。新教皇としてバチカンに入る前に主に助けを祈り、初代教会の信仰の精神で聖職を努められるよう使徒ヨハネと洗礼者ヨハネに取り次ぎを願ったのでしょう。写真のような凄いバジリカになるまでの経緯を見ましょう。 313年ミラノの寛容令 帝国内で宗教に自由が認められる。 ニケア公会議 324年−325年 使徒信条が決まる ラテランの地に324年11月9日にシルベステル教皇によって建物として聖なる救い主に献げられました。その土地は皇帝が教会に寄進し、建築のパトロンは皇帝の母へレナと言われています。迫害時代から発展、世俗化への道を歩む教会の歴史の姿が映されています。1304年までは教皇の住まいでしたが、混乱をさけて教皇はアビニヨン(1447年—1455年)に移り、その後バチカン、聖ペトロ大聖堂に聖座を移し現在に至っています。 中世末期、教会と国家な抱える諸問題が増え、1123年から1215年の間に4回の公会議が開かれ、修道者の生活、経済構造の変化に対応なとについて討議されました。また、フランシスコ会、ドミニコ会、カルメル会修道会が公認されたのもこの時代です。 聖堂が初めて救い主に捧げられた記念すべき聖堂として、毎年全世界のカトリック教会は祝います。教会堂は建てられた時からが始まりです。竣工とか落成とは言いません。父なる神に献げられ、絶えず完成に向かう信仰のシンボルです。信仰の神秘そのものを永久に記念する日です。 「わたしの家は祈りの家です(ヨハネ福音書2章13−22節)」。 行き過ぎた商売、経済優先主義の価値観をいましめ、「神殿を三日で建て直す」とは命の力の復活、真の喜びに目覚めるよう祈る主である願いです。 |