王であるキリスト           2014年11月23日

+ 真の王都は誰でしょう。

 聖書の世界、アブラハム・イサク・ヤコブ、モーセの後継者となるリーダーは通常の国家の長、総理、大統領、王、皇帝とは全く別の統治者です。                                                    
 ユダ国・イスラエル国に王制が取入れられる事情をサムエル記と申命記は書き残しています。それを見ると王制についての危惧があります。(サムエル記上8章以下、申命記17章参照)

       王の権能は、徴兵制を取り入れ、男は戦地へ、女には強制労働を課す。
         課税を強化し、土地財産を没収し、住民は奴隷とされる。
      申命記は更に、王は多くの妻を娶って心を迷わせてはならない、と規定しています。

 士師(さばきつかさ)であり預言者のサムエルの時代(紀元前1200年―1050年)に、民の長老らから近隣国のように王をおいて欲しいとの要望をうけたサムエルは上記の理由で王制は神の民には相応しくないとして応じませんでしたが、長老の期待に応えるように神の声を彼は聴き、やむをえず王制を採りいれました。案の定、初代サウロもダビデもソロモンも預言者の指摘のようになり、ソロモン没後 ユダ国はイスラエル国に分裂してしまいました。

 この時の選択が現代のパレスチナ問題の始まりかもしれません。聖書による信仰は本来、政治課題や経済問題に関わる筋合いの倫理(エコノミー)ではありませんでした。けれども生活に政治が密接に影響する環境では、それらの諸課題を無視することはできません。選択を迫られたサムエルも現代の私たち信仰者と同じ境遇におかれ、短期的には、つまりペリシテと戦う手段として王制を取り入れたのでしょう。しかも、それを神の声としたのです。

         総理大臣も大統領も王ではありません。今世界中に何人の王様がいるでしょうか。

 サムエルが王制を採らなかった理由が人間は主なる神から離れてしまう事実があるからでした。けれども当時、鉄の武器を持っていたペリシテ人に負けないためには賢い戦略を立てられるリーダー、王が求められたのです。しかし、初代サウロは有能な部下に嫉妬をする惨めな人物でした。でも、息子は賢明にも有能なダビデを庇護して護ります。そしてサウロの死後、息子ヨナタンではなく、ダビデが王位を継ぎます。

 彼は勇敢な武将であり、当地の力も優れ、王国を経済的に発展させますが、権力者の欲望におぼれてしまいます。しかし、参謀のナタンに罪を指摘されると素直に回心しました。彼の不幸は息子たちの権力争い、跡目相続の醜い兄弟げんかです。長男も、次男、三男も争いながら死んで、四男のソロモン(部下のウリヤの妻に産ませた子)が三代目の王となり、知恵にもたけ、善政をしき、アラビア地方にまで名声を広まりました。しかし自らが神であるかのような行動が目立ち、主の教えから離れていきます。その結果、愚息が後を継ぎますが、民は優れた家来(エジプトに亡命していた)ヤロボアムを王に選びます。一方ユダ国はソロモンの息子レハベアムも王になりたくてユダの王位に着きます。その結果、エルサレムはユダに、他の地域はレハベアムを王とし、国は南がユダ、北がイスラエルに分裂します。

 旧約聖書の歴史は、神々の主に統治を委ねる体制から人間の権力欲のモデルと成り下がりました。だが、ここで忘れてはならない真実、人間の権力や財は少なくとも、神のことばに生きようとする預言者や無名の多数の信者が創り主の愛を忘れずに祈り続けていた真実があります。
 彼らは王でも軍人でも富豪でもありません。世間の目には見えない神の民です。彼の祈りは主に詩編として祈り歌い継がれています。

 イエスも「お前がユダ人の王か」とピラトに問われた時、「それはあなたの言葉です」とやんわり否定しています。それなのに、どうして1925年になって教会はイエス・キリストを王としたのでしょうか?

 真の王は、この世の権力者であるトップではなく、多くの人々に救いの手を伸べる真の愛の実行者だからです。その方はイエス・キリストをおいて他にいません。